正しい努力をしよう
受験生の子どもさんをもつ方は特にご存知かと思いますが、今年度より大学入試センター試験が大学入学共通テストに変わります。記述式の導入などはすったもんだの末見送られましたが、丸暗記の能力を問うのではなく、思考力、判断力、表現力を中心に評価を行う内容に変わるとのことで、平均点が約1割下がるだろうと言われています。
この入試制度の変遷の大きな理由には日本の国際的競争力の低下があり、その理由の一つとして大学生の学力低下があると言われています。大学側は「もっと真に優秀な人材がほしい」「賢い学生がほしい」との欲求が年々ストレートになっているそうです。
ここからは私見ですが、学力低下の根本的原因は「ゆとり教育」の失敗にあると思います。ゆとり教育は2002年~2011年ころまで実施され、つめこみ教育を見直して緩和し、生きる力の育成、思考力の向上などを目的とされました。
私が思うゆとり教育の失敗はこうです。例えば「新しい発明をする力」を身につけさせたいとします。そして「新しい発明は、散歩などのゆとりある時間を過ごすなかで突然ひらめくもの」だったとします。
「なるほど、日本人はつめこみ教育で忙しくゆとりがないから新しい発明が苦手なのか。ならば勉強時間を減らし、土曜日を休みにし、空いた時間で散歩をすることで発明を考える習慣をつけよう。」その結果が学力の低下、ひいては競争力の低下に繋がったのではないでしょうか。
新しい発明のためには、まず正しい努力に基づく豊富なインプットが必須であり、その上でアウトプット、原因把握、改善などのサイクル(仕事で言うとPDCAですね)が継続的になされた上で、それでも煮詰まった時、時には散歩など違うことをして物事を俯瞰して見ることで一連のサイクルでは見えなかったことが突然見え、それが新しい発明として実を結んだ。こういうのが発明までの正しい努力過程ではないでしょうか。
この正しい努力過程を知らない人が「散歩(ゆとり)=発明」と安易に組み立ててしまったことが失敗で、ゆとり教育制度という壮大な社会実験によりその失敗が証明されてしまったのだと思います。
ちなみに脱ゆとり教育世代である現在の子ども(小学校~高校生)は、今の大人より遥かに学習内容が濃くて多く、忙しい日々を過ごしていますが、もしかして今、日本の労働力に対しては同じような失敗に誘導しようとしていませんか?
正しい努力により、経営を、社会を正しい方向に導けるよう務めていきたいです。
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